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vol.217 恐怖心はどこから?

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 小学校の1年生前後だった。水深2~3mの港を遊び仲間と横断中のこと、泳ぎつかれて立ち泳ぎをしながらふと海底を見ると20~25cmほど黒い塊が目にとまった。水中メガネのくもりを指で拭き取りもう一度顔を海面下に沈めると、その黒い塊がにょろりと動くように見えた。
初めて見たこの奇怪な生き物、あまりの気持ち悪さに身体中が震えて溺れそうになったが、早くこの場から去りたい一心でがむしゃらに泳いだ。今にして思えばアメフラシだった。当時の海は、今とは比較にならないほど透明度は高かったからその海底の状況は鮮明に記憶に残っている。
こんなアメフラシとの遭遇以来、この種の生き物は苦手である。いわゆるトラウマである。人間の五感には、視覚、聴覚、触覚などがあるが、その中でも恐怖心は、視覚からの影響が最も大きいような気がする。

桜も咲き始めた3月最後の日曜日、恒例のキッズフェスタが開催された。展示品の一つである水生生物のタッチングには、幼児から、小学生低学年の子供たちが、今年も多くやって来てくれた。三方海に囲まれているとはいえ、子供達にとって海の生き物に触れる機会はそんなに多くないのではないだろうか。

展示する生き物は、ネコザメ、アオウミガメ、マダコ、ヒトデ、ヤドカリ、ナマコ、カイカムリ(カニの仲間)などの他に、ボランティアが海岸で収集してきた小さな生き物(小さなカニ、ヤドカリ、ウニ、エビ、貝、イソギンチャクなど)や、海藻(ワカメ、ヒジキ、アオサ)などである。

子供達は、どちらかと言えば、小さな生き物に大変興味を示し、慣れてくると水槽内の小岩や海藻に隠れているこれらの小さな生き物を自分で探し出す。本物の小さなイソギンチャクを初めて見たと喜ぶ子供、ネコザメをみて「だんなさん」と呼ぶ幼児、魚はすべて「だんなさん」と呼ぶそうだ。お母さんの通訳がなければ、魚のこととはわからなかった。

ワカメを広げて、これは何だ?と言っているような園児や、生のヒジキを初めて見たというお母ん、黒ずんだ大型ナマコに腰が引ける3年生男児がいるかと思えば、腕まくりしていきなりナマコを両手でつかみ、お尻から尿?を水鉄砲のように排出させる幼稚園女児、マダコの吸いつく感触をソ~ッと確かめる男児などなど、次第に水槽の前に留まる時間も長くなる。

子供だけではない。恐る恐る甲幅10cmもあるカイカムリを持って交互に写真におさまるインドからの成人男性3人組。大人とは言え、彼らは触れる前に、「生きているのか」と確かめたので、少し不安だったのだろうか。なにしろ、ハサミの先端のみが赤く、褐色の甲羅の全身には短い毛が生えており、見るからにグロテスクで、初めて触るには躊躇するのも無理からぬことである。

こわがる子供は、自分の子供の頃の体験からも、視覚から恐れの気持ちがきていると思い、その原因をさえぎることにした。まず手を開かせ、子供に見えないようにして小さな生き物(ウニ、カニなど)を握らせる。握るというよりそっと手のひらに乗せてこちらの手を上から被せる。子供は手の上で何かがごそごそ動いていることは感じるが、害が無いことを実感しているはずである。そしておもむろに手を開く。自分の手の上の生き物を見て、にこっとこちらを見る。
時間がたてばあれこれと他の生き物も触りはじめる。これで何人かの子供の恐怖心は取り除かれた。ただ、この方法は、手の中に隠せない30cmもあるナマコや大型ヤドカリ、カニなどは無理であるが、小さな生き物に慣れれば、あとは時間が解決してくれる。
自然にふれることが少ないと言われている昨今、幼児の頃から本物を観て触れて、センス・オブ・ワンダー(不思議さに目をみはる感性)を積み重ねることが大切との思いで始めた展示、こども達の心に今日の体験が少しでも残り、将来、それらが子供たちにとって何かの役に立つことを期待しているのだが・・・・。いや、半世紀先には、きっとノーベル賞級の「さかなクン」が出てくるはずだ。

 解説ボランティア:唐櫃 山人

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