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Vol.189 4年に一度

 

 今年は4年に一度のオリンピック年、ロンドンで開催されている。世界は、アスリートの「躍動」で熱くて暑い眠れない夜が続いているのではないだろうか。「奇跡」といわれる選手の活躍も展開されている中、昨年のサッカーのワールドカップで一躍時の人になった、予想屋タコ:パウル君の後輩が活躍しているという報道はまだ聞こえてこない。

 4年に一度といえば、世界水族館会議も4年毎でオリンピック年と期せずして同じ年に開催される。前回は、お隣の国、中国の上海水族館で開催された。第8回目である今回は、南アフリカ共和国のケープタウンで開催されるそうである。ケープタウンの水族館トゥーオ-シャン(Two Ocean)は、1995年にオープンしていて海響館より少し先輩である。当時の総展示水量は3,000㎥とあるので、現在の海響館とほぼ同じ規模だ。

 水族館は、日本を始め、アメリカ、ヨーロッパと北半球に多い中、南半球では初めての開催となる。1960年に1回目がモナコで開催、2回目もモナコで開催されているが、この間だけ28年も間が空いている。3回目は、ボストンのニューイングランド水族館で開催されている。日本でも1996年に第4回が東京ビッグサイトで開催された。アトランタオリンピックの年で、上記のトゥーオ-シャン(Two Ocean)は前年に開館したばかりのころである。テーマは、グローバル・チャレンジ「共生・水の惑星」だった。人間と自然は「生かし、生かされている」関係にあるという共通認識をはぐくむという願いからだそうである。

 振り返れば、この会議が日本で開催された前後の80年代末から90年代、そして21世紀に入った日本では大型水族館が続々と建設された時代であった。神戸市立須磨海浜水族園(1987年)から始まり、海の中道海洋生態科学館(1989年)、東京都葛西臨海水族園(1989年)、大阪・海遊館(1990年)、名古屋港水族館(1992年)、横浜・八景島シーパラダイス(1993年)、鳥羽水族館(1994年)、かごしま水族館(1997年)と続き、20世紀最後の年には、昨年の東日本大震災で大きな被害を受けたふくしま海洋科学館(2000年)と隣県のしまね海洋館(2000年)がオープンしている。

 そして、21世紀最初の水族館といわれた、しものせき水族館:海響館(2001年)、更には当時世界最大級水槽を誇った沖縄美ら海水族館(2002年)や大洗水族館(2002)年などが出現した。また、2004年には大分マリンパレス水族館を始め、男鹿水族館や新江ノ島水族館などがいずれもリニューアルで装いも新たにスタートしている。

 海外に目を向けると、今年のオリンピック開催都市にあるロンドン水族館が1997年にビッグベン近くのテムズ川沿いにオープンしている。当時、古都に水族館のニュースに、「ロンドンよ、お前もか、」といった印象だった。しかし、今年3月、日本の古都にも京都水族館(2012)がオープンした。

 更に、リスボン水族館(1998年)や釜山水族館(2001年)、北京海洋館(2002年)、欧州最大級といわれたスペイン・バレンシアのオセアノグラフィコ水族館(2002)、そして世界最大水量を誇る米国アトランタのジョージア水族館(2005年)に至っては、海響館の約10倍の展示水量である。今やいたるところに遍在しているような印象の水族館、その数と規模はどこまで巨大化しどこに向かうのだろうか。

 第4回世界水族館会議の「東京宣言」には、海と地球上の水環境の重要性を始め、当時の関係者の色々な「思い」が織り込まれている。飼育・繁殖が困難であった多くの生物が展示可能になったのは、飼育技術だけでなく建築やその他の科学技術の導入によることや、館内での教育普及活動だけでなく、屋外に踏みだして、減少する水生生物の生息地保全にむけた行動を開始する時期であるという認識から、水族館は地域の自然の保全センターの役割を担うことや、知的レクリエーションを提供し続け、展示活動はその生態的コストを正しく認識する必要があることなどが掲げられている。

 ワインの世界では、新世界に属するケープタウン、郊外には有名なブドウ畑が広がっている。70年以上前、世界で初めてシーラカンスが生きたまま捕獲されたことで世界を驚かせたのはこの国である。更に遡って歴史上では、人間が最初に出会ったペンギンは、大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマがインド航路発見を目指す途上で、この国のケープペンギンだったと伝えられている。

 

 さて、今年、インド洋と大西洋が出会う海に近いケープタウンでは何が語られるのだろうか。

 

解説ボランティア 福井正嘉

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