menu

loading...

Vol.180 境界線

 

 インド洋と大西洋の境目は、南アフリカの喜望峰 (Cape of Good Hope) だと漠然と思っていたので、その岬に立ったとき、右は大西洋、左はインド洋かと大いに感激したのは35年ほど前だった。実は、これが大間違いだと気が付きがっかりしたのは数年前のこと。旅行記事か何かを読んで無意識に思い込んでいたらしい。関門海峡海底人道トンネル内には、中央付近の福岡県と山口県の県境に白線が引かれており、それを跨いで記念写真を撮っている旅行者を良く見かける。人間はどうも境界線のようなものに何か惹かれるものがあるのかも知れない。

 

 夏休みも終わり頃だった。真新しい白い制服と制帽の3人組連れが見えた。練習船の女学生さんだろうか。夏休みの最盛期のような混雑はなく、魚類からペンギンまで1時間ほど館内をゆっくり案内する機会があった。3階から2階へ進んで「藻場水槽」前でのこと。ハゼの仲間の海水魚「キヌバリ(絹張)」について質問があった。この水槽は、人工的とは言え強い光、波浪、水流などにより極力自然の状態に近い環境が保たれるように工夫されていて、一般的に水族館では擬似的水中造形物が多い中、海藻類も自生のものも含め生きているものばかりである。  特に毎年冬場、スズメダイ、キュウセン、キヌバリなどの小魚が見え隠れしている中、美味しそうなシーフード:ワカメがグングン成長していくのを見るのは楽しみである。そんな海中林の中を泳ぐキヌバリは名前の通りシルキーで艶やかな美しい魚である。黒の横帯模様が鮮明でよく目立つ。ところで、質問は、「太平洋産のキヌバリは横帯が6本、日本海のものは7本、水槽のキヌバリは6本だが入手先は何処?」というものであった。さすがに「海の男」 否、「海の女」は魚の生態に関しては関心が高い。

 「キヌバリ」はオープンの頃から展示されていた。6本、7本の違いがあることは記憶に残っていたが、産地については当時彦島付近だったような気がするものの、一昔も前のことで自信がない。その上、目の前の水槽内の個体が、当時と同じ産地とは限らないからすぐに答えられなかった。しかし、産地を是非知りたいということだったので、しばらく待って頂き飼育員に確認したところ響灘だということがわかった。しかし、響灘は太平洋側でなく、日本海側である。6本のキヌバリが日本海側に生息していたことになる。これは何かの間違い?それとも大発見か?それとも響灘は太平洋側だったか?そんなはずはない、間違いなく日本海側だと思うのだが、インド洋と大西洋の境界線誤認の轍を踏んでいないかと心配になった。更に、日本海と瀬戸内海の境界は?といろいろ疑問が出てきた。漠然と分かっているようでも、具体的に何処の岬や島からが日本海だと意識しているわけではない。現実の海は、本館のように、日本海水槽、関門海峡潮流水槽、瀬戸内海水槽それぞれの間の海水はつながっていてもアクリルガラスで仕切られ、はっきりと境目がわかるのとは、大いに異なる。

 

 後日、新しい事実が判明した。案内した日の3日前に、千葉県産が5尾追加されていたのだ。もともと居た響灘産は1尾だった。海藻が茂る水槽底でテリトリー意識が強いこの魚が6尾同時に見えるチャンスは非常に少ない。従って、大発見でなかったのは残念だが、学生さんが見たのは千葉産の5尾の中の1尾だった可能性が高いと思われる。

 

 関門海峡は全長25kmほどある。瀬戸内海を太平洋の一部と考えれば、瀬戸内海と日本海の境目が、太平洋と日本海の境目にもなり、ひいてはキヌバリの6本、7本の境目にもなると思ったのだが、・・瀬戸内海には、生活環境が日本海と似ているのか、7本のキヌバリが生息しているそうだ。日本海も瀬戸内海も7本が生息しているのであれば境目はあまり関係がなくなったが、この機会に、瀬戸内海の範囲を調べてみると、色々の法律があり、その境界線は少しずつ異なっているのは意外であった。  最も東寄りなのが、①海上交通安全法施行令で、関門港は瀬戸内海に含まれないことになっている。即ち、瀬戸内海は、長府沖の満珠島付近までと言うことになる。続いて②漁業法では、門司埼(関門橋の近く)までで、関門海峡の東口から4分の1ほど入ったところになる。これは何となく一般的な市民感覚に近い境界ではないだろうか。更に、③領海法施行令では、下関市彦島竹ノ子島台場鼻から北九州市若松洞海湾口防波堤灯台まで引いた線までが瀬戸内海となっていて、関門海峡はほとんど含まれることになっている。そしてもう一つ、④瀬戸内海環境保全特別措置法では、四つの法律の中で一番広くなっていて、響灘の一部や豊後水道まで含まれている。  オマケにもう一つあった。これは日本海の範囲だが、⑤「国際水路機関」では、関門海峡を西口から出た海域で、村崎鼻(下関市安岡)から、六連島を経由して北九州北岸八幡岬を結ぶ線から日本海が始まることになっている。キヌバリが聞いたら、目を白黒させてびっくりするかもしれない。人間の都合で引いたこのような線は海中の魚は預かり知らぬこと、彼らは少しでも棲み心地の良い方へと自由に移動するはずである。今回、キヌバリのお陰で眼の前の海についてまだまだ知らないことが多いことに気付かされた。

 

 案内中、女学生さん達は、東京海洋大学の練習船で東シナ海からの帰路に寄港したと聞いていたが、船名を聞き漏らしていた。当日入港した同大学の船を港湾局で調べ「神鷹丸」であることがわかったので早速、同大学経由同船へその後判明したことなどをメールで伝えた。

 

注)図鑑によると、太平洋産でも宮城県以北のものは日本海産と同様7本の横帯模様があるそうである。

 

 

(解説ボランティア  福井正嘉)

PAGETOP