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Vol.179 海

 庭のナデシコが、5月から小さな花を次々と咲かせ続けている。花がこれだけ元気なら、「なでしこジャパン」もきっと良い成績だろうと勝手な理由をつけて大いに期待していたら、あれよあれよと歴史的快挙、とうとう優勝トロフィーを供にドイツから凱旋してしまった。花占い?は大当たりであった。昨年活躍したドイツの占いダコ・パウル2世の今回の成績はどうだったのだろうか。

 なでしこジャパンの活躍を横目でみながら、準備に追われた毎年恒例のキッズフェスタも終わり、一段落したところでいつもの解説活動に戻った。夏休みに入っているので混雑していたが フグ水槽の前で、老夫婦とセンニンフグの話しをしていた。このフグ、観覧通路からアクリルガラスを透して見ると、昨年展示直後に尾ビレの下葉部をかじられた(?)ためか 水槽の左右上隅に入り込んで姿を隠していることが多い。頭腹部を隠して、尾部がほんの少し見え隠れするだけである。これをバックヤード側の水面上から見ると、狭いところに入り込んで身を隠しているのでなく結構スペースがある場所にいる。実は、ここでは散気管からの気泡がブクブク出ていて酸素が豊富なコーナーである。姿が見えない魚を出てくるまで待たれる来館者も2~3分間ほどが限度である。しかし、このご夫婦はゆっくり観覧されていた。

   「ところで、どちらから?」とお尋ねしたら、「奈良から、親戚のお見舞いに来たついでに・・」「そうですか、奈良には観光するところがたくさんありますね。海の魚は珍しいでしょう? 奈良では、海を見る機会が少ないから、・・」と言うと、「その代わり、津波の心配はいりまへんなぁ」と。「なるほど その通りですなぁ」「あっ、はっ、はっ、」ということで、話題は奈良の唐招提寺や若草山などと続いたが、何かまずいことを言ってしまったようで、この海=津波の連想が心の中に広がったまま残された。311日を境に、日本人の「海」という言葉の響から連想されるものが大きく変わってしまったのだろうか。今までも、津波はTsunamiだったから、この感覚は日本人だけではないかもしれない。講演などで下関市が紹介されるとき「3方が海に囲まれて云々・・」と言われるのをしばしば耳にしてきた。観光パンフレットにもあったような気がする。海響館のコンセプトには、「海のいのち、海といのち」と海が2箇所入っている。昨年、スナメリの名前募集でも「うみ」が選ばれた。いずれの「海」も、当然のことながら、プラスのイメージで話されている。津波などのマイナスのイメージは多分ないはずである。

 物にはプラスとマイナスがあることは理解していても、誰しもマイナス面はできれば考えたくない。童謡の「うみ」の1番「海は広いな大きいな・・・」からの思い浮かぶことが津波ではちょっと寂しい。2番には「海は大なみ 青いなみゆれてどこまで つづくやら」とあるが、津波を体験した子供達は「大なみ」から、何を想像するだろうか。「海」は「産み」にも通じ、生命の産みの母であることは間違いないが、その母も時には、予想もしない振る舞いをする。

 あらためて地図をながめてみた。意外であったが、海洋国日本に奈良の他に海のない県が7つもある。来年のキッズフェスタのクイズDE博士に使えそうである。このフェスタは一昨年まで「海の日」に実施していた。当日は海に関連する催し物が全国的あちらこちらで開かれるが、奈良県ではその日は、「山の日・川の日」として条例で定められているらしい。しかし、「海がないから津波の心配はいりまへんなぁ」と安心はできない。よく考えてみると、津波はなにも海だけの話ではない。雲仙普賢岳の山津波(土石流)は約20年前で、新燃岳の噴火は、まだ今年1月のことである。

 

(解説ボランティア 福井正嘉)

 

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