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Vol.175 スナメリの野外劇

 海響館には現在2頭のスナメリが展示されている。そのパフォーマンスは大変な人気である。トレーニングが始まった頃、スナメリ「ひびき」がここまで「演技」をするとは思いもよらなかった。水面近くのロープ(水深約40cm)の上を通過する訓練では、ほんの少し水深が変化するだけで挑戦したり躊躇して止めたりする。トレーニングは少しずつ、ゆっくり、安心させて自信を持たせることが基本と当時海獣展示課長だったエイブルさんから伺ったことがある。2頭は何れも関門海峡に続く周防灘で保護されているが、このことを話すと多くの方がこの海峡にも生息しているのかとおどろかれる。最近は、「ひびき」のお陰で少しずつその認知度も上がっているのではないだろうか。海峡には1日に大小600700隻の船が通るといわれている。水深は1020m前後で餌も豊富のようである。水温は年間を通して10℃を切ることは珍しいが、今年はさすがに1月下旬に9.9℃を記録した。

 この海峡に鯨の仲間スナメリが生息しているのを知ったのは、10年ほど前だった。

 現在は関門医療センターになっているが、旧水族館の海岸に面したアザラシ水槽のすぐ沖で戯れている映像を見たのが最初であった。センターに隣接して最近「長府の誇り100選」に選ばれた海岸がある。瀬戸内海国立公園最西端の小さな美しい海岸線として紹介されている三軒屋海岸。海峡の東口近くにあって、対岸の九州の門司まで3kmほど。周防灘から海峡に入ってくる船舶は、この海岸に向かって進入してくるが、正面少し手前付近で取舵になり関門橋に向かって進む。それまで正面から見ている時には小さな船と思っていたのが、舵を切り真横(右舷)から見ることになるとその大きさに驚くことがある。

 この海岸では海響館ホエールボランティアによりスナメリの定点観測が行われていて、これまでに多くのデータ(発見時間、方向、距離、頭数、潮、海象など)が記録蓄積されてきた。海岸のすぐ前は、海図に沖ノ瀬、中ノ瀬、沖ノ藻、地ノ藻などとあり、海洋生物が集まりやすい環境で、魚が飛び跳ねているのがよくみられる。特に潮ノハヤリ(逸り)と記されてる付近はスナメリがしばしば現れる熱いスポットである。航路用ブイの他に漁業用の白や黒のブイもそこここに浮かんでいて、中には旗までなびかせているものもあり観測にちょうどよい目印になっている。

 スナメリには、イルカのように目印になる背びれがない。そのため海上で見つけるのはなかなか難しい。そこで、潮目、カモメ、ナブラ(大型魚が小魚の群れを水面まで追い込み、水面は更に上に逃げようとする魚で盛り上がる状況。それを見て今度は鳥が集まってくる)などが発見のきっかけになる。また、海面と観測位置の高低差は数メートルほどなので、距離が遠くなるとスナメリが波間から飛び出すか、波しぶきでなどでやっとそれと見分けられる。上記医療センターの高い階の病室からはバードアイビューになるので見つけやすいのか、スナメリを見たという入院患者もおられたと聞く。ともすれば退屈な入院生活の気分転換になるかも知れない。

 例年にない寒さの1月末、久しぶりの好天に海岸を覗いてみた。当日は小潮で、海面は穏やかな表情をしていた。14:00の満潮を少し過ぎた時間帯、突然スナメリ大フィーバーが始まった。最初に発見したのは地元の常連Sさん。実は、その1時間ほど前に気配があった。今年の恵方は南南東らしいが、最初の気配はほぼ南南東だ。正面800mほど先、航路の手前付近で関門橋方向に向かって移動しながら3回ほど連続して波しぶきを上げ、四方八方からナブラに襲いかかっているかに見えた。波しぶきが前後左右に発生したのでただ移動しているのでなく、採餌しながらの移動のようだ。

 全く感触がない日もあるから一度でも見えればもう大当たりである。ところが、この日は違った。それから1時間ほど経ったころ、今度は関門橋方向のマリン温泉沖付近に波しぶきが確認された。先ほどの集団が戻ってきたのだろう。こちらの方向に向かっているように見える。

 距離は7800m近くありまだ遠い。その時、これから起こるであろう大ページエントなど誰が想像できただろうか。1535関門海峡シアターの開幕だ。海響館にはイルカの「アクアシアター」がある。しかし、こちらは不定期で、いつ何処で突然幕が開くか誰にもわからない。オープンシアターであるから入場無料だ。必要なのは「関心と根気」という入場券。5600mほどになっただろうか、数分間隔で大きな波しぶきを上げ跳ね返る。勾玉のように曲がった黒っぽい躯体が水面上にすーっと現れる。現れないときもある。しかし波しぶきでそれと分かる。風による白い波頭とは明らかに異なる。

 波しぶきは、マリン温泉付近から医療センター沖を経て、目の前を通り満珠島方向へとどんどん移動していく。こんな「スナメリ野外劇」が約30分間も断続的に展開されたから驚きである。特に終盤は、打上げ花火大会のそれと似ていてドドッと集中的に披露してぴたりと終わる演出まである。途中、別のグループらしいのが、突然旧水族館のアザラシ水槽のすぐ前で全身を水面上に現わし観客の心を揺さぶる。この付近は、テトラポットが途切れていて岩場もあり小魚が集まりやすい場所である。

 スナメリだけでなく人間の方も大フィーバーしてしまった。今日のような光景には滅多に遭遇することはないと長年この海岸で観察を続けているJさん。万年4等賞の切手シートだった年賀状お年玉、今年は見事に3等賞。1万分の1の確率だそうだ。スナメリは2度目のお年玉になった。滅多に無いことが起こる年かも知れないと思って、更に振り返ってみると前日に新燃岳が大噴火していた。それでスナメリも?・・まさか?・・それでも何か関連が・・と考えたいのが人間の浅知恵か、自然界は人間の想像をはるかに超えた動きをする。水槽内のスナメリの姿から、このダイナミックな行動を想像できるだろうか。フィールドワークの重要性とはこのようなことを言うのだろう。解説には基本的な生物図鑑的「知識」も大切だ、が 身近な自然界における生態を見て何かを「感じる」ことも同じぐらい、否それ以上に大切だよと絶滅が心配されているスナメリが暗示しているのかも知れない。

 予想を超えたライブでの展開が感動を呼び、更に、そこに至る長い待ち時間がその感動を倍増させる。先日のサッカーアジア杯。2時間以上の激闘の後、見事なボレーシュートがゴールネットを揺らしたから多くの人々に感動を与えたのと同じである。とは言え、人間の心の模様である「感動」を、このような拙文や言葉でどれだけ伝えられるだろうか。それでも、それを承知で来館者には是非伝えたい体験であった。

 あなたの身近にこんなクジラの仲間がいますよと。

 

 (解説ボランティア 福井正嘉)

 

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