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Vol.209 にっぽん丸

 

 「日本丸」は、航海練習船で大型帆船、一方、「にっぽん丸」は、クルーズ旅客船である。文字を見ればわかるが、話す場合は、「帆船の」とか、「旅客船の」などの修飾語がないと話がすれ違うことがある。両船とも関門海峡をよく通過し、下関にも何度か寄港している。日本船籍のクルーズ船は、他に「飛鳥」とか「パシフィック・ヴィーナス」なども時々海峡で見かけるが、あのイタリアの大型豪華客船「コスタ・ヴィクトリア」も通過したことがある。どれも「にっぽん丸」よりも大型なので航路幅500mほどの海峡が心なしか狭く見える。

 先日、旅客船の「にっぽん丸」に乗船する機会があった。「乗船」といっても、船旅をしたのでなく、接岸中の船内見学ツアーに応募して、不思議なことにというか、それとも、素直に幸運にもといった方がよいのか、当選したのである。この種の抽選に当たることはほとんどないから、多分多くの市民が当選されたのだろうと想像していたところ、知人はダメだったと聞いた。今回、定員50名に対して応募は200名ほどだったとか、やはり幸運だったのだ。

 クルーズ旅客船が寄港すると、乗船客が近郊の観光地を周遊するオプシヨンのツアーがあるのが一般的だが、海響館にも立ち寄られることがある。もうずいぶん前のことになるが、上海からの帰路に寄港したクルーズ旅客船の乗客が来られて、長江(揚子江)をさかのぼって航海してきたことなどを伺った。
 「ヨウスコウカワイルカ(揚子江河海豚)は見ませんでしたか」と尋ねた記憶がよみがえる。このような質問をしたのは、頭のどこかに新聞のニュースが残っていたからかもしれない。

 「カワイルカ保護の星・孤独な死」平成14721日付朝日の見出しは、中国科学院水生生物研究所(武漢市)で、川に生息する珍しいイルカ「ヨウスコウカワイルカ」で唯一飼育中だった「チーチー」の死亡を伝えていた。更に、その5年後の平成19822日には、「中国でカワイルカ絶滅?」のタイトルでまた報道された。それによると、研究者が1,600kmの区間を6週間かけて船で調べた結果、生存している証拠がひとつも見つけられなかったという。絶滅が事実とすれば、鯨類が、人間活動の影響で絶滅するのは初めてということになるのだそうだ。

 長江は、河口の上海から全長6,300kmもあるアジア最長の河川である。十数年前、中国内陸部の大都市:武漢で見たこの河は、関門海峡ほどの川幅があり、水は透明度があまり良くなかった。そのためかどうかは分からないが、カワイルカは透明度の低い水に適応して目が退化しているそうである。イルカは視覚の他に、エコーロケーション能力(イルカが発する超音波で物体の距離、方向、大きさを測る能力)を持ち合わせているから、目が退化していても、聴覚でエサを探すことは可能と思われるが、それにしても当時は、こんなところに淡水のイルカが生息していることなど思いもしなかった。

 それよりも、春の産卵期に、長江を1,200kmもさかのぼって武漢あたりまでくるらしいメフグが、こんなに濁ったところで産卵し、仔魚は育つのだろうかと思った。フグに対して「河豚」の漢字が定着した古い時代には、もう少し違った流れだったのではないだろうか。海響館でもメフグが展示されていたことがあったが、淡水でなく海水だったと思う。

 今回見学した「にっぽん丸」は、1990年に就航している。24歳のおばあさんだと説明があったが、リニューアル後のためか、おばあさんの印象はなかった。海峡を通過する「にっぽん丸」は何度か見かけたが、近くで見ると想像以上に大きい。船体は、上部構造は真っ白で、下半分は黒に塗り分けられたツートーンで、ファンネルのエンジ色がアクセントになっていて、39歳で退役したあの有名なクイーン・エリザベス2と配色がよく似ている。
 今回のクルーズは、横浜から東日本をぐるりとまわってロシアのウラジオストクまで行き、舞鶴経由下関に寄港している。
 見学者は、2グループに分かれて船内を移動した。約25人に案内人が1名ということになる。ほとんどの乗客は上陸されたのか、船内は閑散としていて団体でも移動はスムーズであった。ちなみに、海響館で小学生などの案内では10名にボランティア2名ほどの割合で対応している。1階から最上階の7階までエレベーターで昇り、階段で654・・・と下ってくる見学ルートで、迷路のような船内でも自分の位置がよくわかる。海響館でも同様に上から下への観覧順路に沿って案内しているが、船と異なり水槽配置が複雑だから、個人で観覧されると何度も同じところ廻る人もおられる。艦船や研究船の見学とは異なり、船橋や機関室などをのぞく居住区画のみであったが、接客プロの案内だからいろいろ参考になることがあった。

 航海中の楽しみの一つは食事。メインダイニングの今夜のメニューは、カンパチの刺身と、鯛の松皮造りや、金目鯛の山椒煮などで、夕食はどちらかといえば和食になっているということであった。馬関港開港150 周年記念の寄港だが、トラフグがメニューに見えなかったのは、季節の関係か、それとも経済的理由だろうか。
 見学中、小学生の頃、欧米のお金持ちは飛行機より船旅を楽しむと聞いていたことを思い出した。お金持ちならどうして飛行機でなく船? 逆ではと、子供ごころに不思議だった。戦後、JALANAもまだ飛んでいない時代、世界旅行といえば、小学生でもよく知っていた「パンナム」の飛行機だ。米国の航空会社「パン・アメリカン航空」である。テレビ放送が始まっても世界の旅番組は飛行機だったように思う。子供達には「パンナム」で世界旅行は夢のまた夢であった。
 列車や飛行機と違い、時間がゆっくり流れることが船旅の大きな魅力なのだが、豪華客船など見る機会がない当時の社会環境では、子供には理解できなかったかのかも知れない。

 日本での本格的クルーズは、昭和が終わり平成に入ったころからではないだろうか。それまでは、映画の中で欧米のクルーズ船の豪華さを垣間見る疑似体験の時代と言えるかも知れない。古い映画だが「ポセイドン・アドベンチャー」が思い浮かぶ。大津波で転覆した客船からの脱出劇だが、「めぐり逢い」のような豪華客船がラブストーリーの舞台の映画もあった。航海は3か月クルーズといった長旅でなく、今回の様な1週間程度のショートクルーズや、ワンナイトクルーズのようなものもあるから、日本のクルージング人口も増加しているのではないだろうか。昨今、海外からのクルーズ船の九州寄港は減少傾向にあるらしいが、「にっぽん丸」は8月の関門海峡花火大会の日にもまた来港する。

 

解説ボランティア:唐櫃 山人

 

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