menu

loading...

Vol.200 あくあはーつ通信

 

 開館の年の7月から始まった「あくあはーつ通信」もいつの間にか、干支を一回りして2周目に入った。兼好法師ではないが、つれづれなるままにで、生来ものぐさだから締め切りがないのがよい。とはいえ、解説活動はもとより、投稿はともすればマンネリになりがちである。何とか続けられているのは、国籍を問はず老若男女の来館者と交わした色々な話題に触発され、知らなかったことに気付かされ、時々駄文を書き、それを読んでくださる方がおられることが、次の活動の刺激になっているような気がする。欲をいえば、書いたり話したりすることが物忘れ対策にもなっていると期待したいところだが、効果のほどはどうだろうか。兼好さんに聞いてみたいところだが、「拙僧は、健康法師にあらず」と断られそうだ。

 以前、本欄にカタクチイワシの旋回方向の話題で、競馬は右回りと書いたら、それを読んだ方から、左回りもあるよと教えていただいた。競馬場に行ったことはないが、テレビ画面上で、いつも観客席から遠いコースの画面は左から右へ、近いコースのそれは右から左へ疾走しているのが脳裏にあったので右回りと思い込んでいた。
 調べてみると、国内の競馬場の3割ほどは左回りのようである。 因みに、競馬発祥の地といわれる英国、その王室所有のアスコット競馬場は右回りとあった。

 海響館の開館は、2001 (平成13)、巳年。当時、「21世紀最初の水族館」というフレーズをよく耳にした。約10ヶ月間の研修も何とか修了し41日を迎えた。午後からの開館である。それ以来、1日も休むことなく水族館は来館者に開かれている。 これは素晴らしいことで、旧水族館は、台風18号で閉館を余儀なくされたが、本館は休まなければならない天変地異、その他諸々のトラブルなどなかった証ではないだろうか。開館翌朝の新聞は、来館者の列が開館直前に3km近く及んだと上空からの写真を掲載していた。ちょっと想像しがたいが、海響館から関門海峡を隔てた向こう側の門司港までが約2km、その1.5倍の人の列ということになる。館内ではそのような外の様子は知る由もなかった。

 開館初日の活動メモを見ると、当時のことがそんなに前のこととは思えない。混雑した中ではあったが、観客誘導以外に、時間帯をみて「関門潮流水槽」や「日本海水槽」で解説を行っている。その日の朝、関釜フェリーで下関に着いたばかりというデンマークからの4人家族があった。確かドイツ系デンマーク人で、お国自慢をされていた。アンデルセンの童話:人魚姫の国からの来館者が、偶然にも水の館のオープン初日に見えるとは、何というめぐり合わせだろう。約10分毎に出現する注目の「関門潮流水槽の渦潮」を見ないで行かれる来館者に、少し待って是非見て行かれるように薦めていた。その結果、多くの方が渦潮に感激、お礼まで言われたのだが、後半は渦潮前が渋滞状態で、逆に早く前進する様にお願いする結果になってしまった。心苦しいことだが、見ないで行かれた来館者も多かったのではないだろうか。数ヶ月間はこのようなことを時々経験したが、今は昔である。

 水族館は、建物が完成した開館時がスタートといわれる。当初、日本語のカタログだけだったので手書きで追記したもので対応していたが、今では、英語、中国語、韓国語と揃っている。最近の日本への観光客の状況から、将来タイなど東南アジア関連の来館者が増え、ニイハオやアンニョンハセヨだけでなく、サワディも館内で聞かれるかもしれない。ハード面は時の経過とともに古くなる。半面、ソフト面はどんどん進化していく。

 今では、館内各種のサイン類、魚名など案内版、魚の種類、見せ方、飼育員による給餌解説、イベントの充実、それらに関連したドキュメント等々開館時に比べ多種多様で内容も濃いものになっている。設備関連も、ペンギン村が増設され展示スペース、総水量もずいぶん大きくなった。一方、無くなった設備もある。1階の無料コーナーの情報提供ゾーンに漁業やフク、ウニ、クジラなど海峡がもたらす変化を紹介する「下関の水産と生活」コーナーがあった。今は、売店に衣替えしている。2階には、人と海との共生コーナーとして、地球環境の現状や海の利用と海洋環境の保全について、海洋牧場などで使われる音響給餌の実験装置や、アサリの海水浄化能力などを紹介していた。マダイの群れが、音に反応することから多くの来館者に興味を持って頂き、魚の聴覚の解説にも力が入った。個人的にも耳石に興味が湧き、水産大学校を訪問し色々教えていただいた頃が懐かしい。 今は深海の生き物コーナに様変わりしている。干支を一回りして、年々歳々花相似たりだが、歳歳年々水族館同じからずで、設備はもとより、人も魚も入れ替わってきた。

 人と言えば、来館者からの質問は本当に多岐にわたる。
 「イルカは水中からジャンプしナゼ空中のボールにタッチ可能か?光りの屈折があるのに?」(中年男性)、「ここは木がないところ? 風があるのに木の葉の音がしないが。」(ペンギン保護区で視覚障害の方)、「介助犬のトイレの場所は?」(男性)、「ジェットコースターないの?」(男児)、「日本海と瀬戸内海は塩分濃度が違うが、この水槽の濃度は?」(山陰地方からの女性)、「魚名板の「科」の字の意味は?(魚名板を見た米国人女性)」、 「ペンギン村はここから遠いの?」(女性)、「このサンゴ水槽一ついくら?」(男性)、「明日、京都へ旅行するが、お土産は何が良い?(小倉在住の米国人)」

 質問というより突拍子もないリクエストのようなものもある。
 
「フグ料理屋で、安くなる紹介状書いて」(男性)、とか「握手してください」(握手が趣味という女児とお母さん)。 前者は、ちょっと無理だったが、後者は、最初は驚いたが、事情がわかったので喜んで応えることができた。質問ではないが、下関空襲の話を長々とされた老姉妹、ジャズ音楽の話をし続けたリタイヤしたアメリカのジャズギタリスト夫妻なども印象に残る。最近、昨日の夕食は何だったかすぐに思い出せないことが多いが、古いことは結構思い出すものだ。

 開館当日、レンズ付フィルム(使い捨てカメラ)が売店にあるかとのお尋ねが3件もあった。当時、デジカメはまだ今ほど流行していなかったので、館内売店では通常のフィルムを売っていた。デジカメが流行しだすと、今度は電池の問い合わせが出てきた。中国からの女学生が筆談で「電池」と書いてその有無を尋ねられたことがあった。最近は充電式電池の性能も良くなったのかこの種の質問はほとんど聞かない。時代の移り変わりが感じられる。ケイタイで写真を撮る人が増えたのはいつ頃のことだっただろうか?初日、あれだけ混雑していたにもかかわらず、幸いにも迷子の子供さんの記述はメモには見当たらない。初日の入館者数は5,700人だったそうである。

 最近、厚労省から平均寿命が発表された。男女とも前回調査より延びている。21世紀に平均寿命が100歳になれば4世代に対応できる水族館でなければと、開館前「新水族館の夢を語る会」で前館長が講演されていたことを思い出す。さて、時代と共に変化する水族館、どのような解説ボランティアが期待されるのだろうか。

解説ボランティア:唐櫃 山人

 

PAGETOP