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vol.254 バン・ディーメンズ・ランド

 3階の「冷たい海のフグ」水槽は、カラフルな魚が多いので、熱帯魚かと思われたり、時にはニモブームが去った?今でも遠くから「ニモだ~!」と駆けよる幼稚園児の気持ちもよく理解できる。(ニモ:人気アニメの名前、スズメダイ科カクレクマノミのこと)園児がニモだ~!と叫ぶのは、この水槽で特に目立つイトマキフグ科の「ホワイトバードボックスフィッシュ」のことのようで、ニモによく似ている。ちょっとずんぐりむっくり君だけれども。
ただ魚名の“ホワイトバード”は、鳥のバード(bird)ではなく、縞のバード(barred)で「白い縞模様のある箱型の魚」のような意味になり魚の色柄とマッチする。

 ところが、“ボックスフィッシュ”だからフグ10科の中のハコフグ科と思いそうだが、イトマキフグ科と表示されている。この“ずんぐりむっくり君”には紛らわしい名前が付いているが、“住所”は海響館にいる海水魚としては珍しく南半球である。

 この「ホワイトバードボックスフィッシュ」の生息域は、ウエブサイトなどによると、オーストラリア西部~タスマニア、環境:沿岸域などと記載されている。タスマニアからオーストラリア大陸の南側の沿岸の西端まで約3千kmもあるが、もう少し具体的な生息域とその密度が知りたくて調べてみて、あまりに広く大陸沿岸域に分布しているので驚いた。

 密度の濃淡を区別しなければ、大陸の北側のアラフラ海域の暖かい海にもいる。東側のシドニー付近、南東のメルボルン付近、南側のアデレード付近、更に西側のパースを中心に南北約1,000kmにわたって分布しているが、勿論、密度が最も大きいのは1,000km以上にも及ぶ南側のグレイト・オーストラリア湾である。これで少し来館者との話題が増えた。

 ところで、ガリバーが旅行記で小人国リリパッドに流れ着く前に嵐に遭遇したのがバン・ディーメンズ・ランド(タスマニアの旧称)の北西の方向で、南緯30°2′の位置だった。これは、オーストラリア大陸の西方の南インド洋上と推測される。
その後、船が転覆して泳ぎ着いたところは遠浅の沿岸とあるので、大陸西側のパース付近の「ホワイトバードボックスフィッシュ」生息海域だったかも知れない。

 空想的詮索はさておき、パソコンで拡大したオーストラリアの地図を眺めてみる。右下に小さな島タスマニアが見える。小さいといっても九州の2倍以上の大きさである。このタスマニアを一周調査し、初めてここが一つの島であることがわかったのは1798年。ガリバー旅行記の完成版が発行された1735年頃は、まだ島ではなく大陸の一部と思われていたらしい。

 タスマニアには、世界で最も小さい種類のペンギン:リトルペンギンが生息している。バス海峡をまたいだ対岸のメルボルン郊外のフィリップ島や、ニュージーランドにも同種のペンギンが見られる。

全長3~40cmのこのペンギンは、ガリバーから見れば直立して2足歩行する「小人」である。旅行記の小人国リリパッド人の背丈は15cmに満たないが、作者スウィフトは、このリトルペンギンから小人国のヒントを得たかも知れないとの空想も多分ハズレだろう。

 タスマニアについては、囚人流刑地の島だったことは、よく知られていることだが、州都ホバートは、ダーウェント川の河口付近に開けた街で、河幅1kmほどの所には橋がかけられており、どこか琵琶湖大橋を思い出す雰囲気がある。両者はくしくも東京オリンピックの年の1964年に誕生しているオリンピック世代だ。

 市の中心部はヨットハーバーから背後の山の方へ市街地は広がっており、街路は勿論、個人住宅地内には大きな樹木がある家が多い。元々樹木が多い土地に街ができたのかも知れない。岸壁沿いに並んだ古い大きな倉庫が開放的な土産物の店舗として再利用されていたのは印象的だった。35年以上前のことで、今ももとのままかどうかは分らない。

 海響館が建つ埋立地あるかぽーとが開発される前、唐戸から三百目付近までの海岸沿いには古い倉庫群が建ち並んでいたのが思い出される。20数年前のこと,今はもうない。

解説ボランティア:唐櫃 山人

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