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vol.245 巨大展示物の組み立て

 海響館に展示されているような巨大なシロナガスクジラ骨格標本は、大英博物館など世界に7~8体しかない貴重な資料と研修会で教わり、新聞記事などにも報道されていた。40数年前、大英博物館をほんの短時間覗いてみたことがあったが、展示されていた記憶がないので疑問だったが、見学後に設置されたのだろう思っていた。

 

 ところが先日、「巨大展示物入替大作戦」というTV番組を観ていて、この疑問が解けた。巨大展示物とは、絶滅が危惧されている現代地球上での最大の哺乳類「シロナガスクジラ」の骨格標本である。

 その標本は、元々大英博物館の一部門として始まった「ロンドン自然史博物館」(1881年開館)の館内保存場所に70年以上放置されたままだったが、昨年7月、巨大な中央ホールに展示され英王室のキャサリン妃も記念式典に出席されている。番組は、それまで30年ほど展示されていた恐竜の骨格標本との入れ替え作業のドキュメンタリーである。

 

 中央ホールは教会のような巨大な吹き抜け空間のためか、シロナガスクジラは海響館のものより少し小さく感じるが、その巨大さは変わらない。全長25.2mと報じている記事もある。

 この2年余りの入れ替えプロジェクトのリーダーは女性学芸員で、保管場所から移動するために4か月かけて220個ものパーツに分解するのに男性に混じって何人もの女性学芸員がハンマーや大工道具などを持って参加しているのには驚いた。

 

 一方、骨格をどのように展示するかのインスピレーションを得るためにカリフォルニア沖まで出かけ、ダイナミックにすることが如何に重要かに気付く。骨格と展示する中央ホールのレプリカで検討された。デザインは、空間を泳いで中央ホール入口から入った人に、ダイブしているように見せるためクジラの背骨をカーブさせるポーズになる。口が大きく開いていたり、胸ビレが水平に開いたりしているところが海響館のそれと異なるが、躍動感がはっきり伝わってくる。

 ホールに搬入時、頭部(約2トン)が入口から入らないのでコンテナーを14cm縮小するというハプニングもあったが、組立は3日間で完了している。

 

 この頭部は海響館のように床に設置されるのではなく、全て天井から数多くのロープで吊り下げられている。クライマックスはバランスを取って所定の高さまで吊り上げる時だ。40人ものエキスパートが関わる難作業だ。各ロープのスピードが同期しなかったのでバランスが崩れ骨格全体が揺れだした。突然「バ~ン」と大きな音がホールに響いた。補強材のボルトが破断し背骨の一部がずれたのだ。幸いにも背骨内の補強パイプで何とか形は保持された。

 

 この個体は、1891年(明治24年)にアイルランドのウエックスフォードの海岸にストランディングしたものという。1886年頃にノルウエーの北大西洋沖で捕獲された海響館の個体とほゞ同じころになる。

 ストランディングしたクジラの上に数人が乗っている当時の写真や記録が残されている。かつて36万頭生息していたと言われるが今や1.2万頭に激減しているとのナレーションから、この時代にはまだ世界の海に多くのシロナガスクジラが生息していたのだろう。因みに、個体を111ポンドで入手した人物は、鯨油は燃料に、骨格は購入価格の2倍以上の250ポンドでロンドン自然史博物館へ売却している。現在の価値はどのくらいになるのだろうか。

 

 博物館では1934年に最初の骨格標本を20人の男性作業員が6か月かけて組立完成させているが、今回移動のため解体して当時の技術が分ってきたという。背骨の中に金属補強をし、骨と骨の隙間には木片や新聞が詰められていた。原始的な方法だが効果はあったらしい。現代では、合成樹脂などが利用されるのではないだろうか。

 番組の最後に主任学芸員は、将来に向けたメッセージを次のように語っている。

 

「人間は、この素晴らしい生き物を絶滅から救うために何をすべきか。考えるきっかけになってほしい。」

 

 展示までの経緯を知ることで、博物館の展示とは何かを考え、展示計画から工事の進み方も理解でき今後のボランティア解説の参考になった。

 

 海響館のシロナガスクジラ骨格標本の展示も色々苦労があったのではないだろうか。ボランティア解説で案内するときは、シロナガスクジラの生態に関連した話題が多いが、更に、設置の経緯などロンドン自然史博物館の話題と対比して話すのも面白いかも知れない。

 報道によると、平成11年7月6日の朝刊に「新水族館の目玉に」「シロナガスクジラ骨格標本、ノルウエーから借り受け」の文字が躍った。すでにその年の2月から水族館の本工事が始まって5か月経過していたころになる。

 結局、12月の報道では、「シロナガスクジラ大きすぎた・・骨格展示用に設計変更」となり、展示部分が増築されたのが、今の小松―ワローホールの姿である。  水族館の完成は設計変更に伴い4か月ほど延びたが、オープンは予定通りだったので関係者はいろいろ苦労されたのではないだろうか。

 

 開館年の13年1月には、「新水族館の主役到着」となり、搬入後10日間ほどで220個のパーツが組み立てられている。分解されていたパーツ数はロンドン自然史博物館のそれと同数である。頭部は台座に設置され、胴部の中ほどより後ろの部分は高さ十数メートルの天井から吊り下げられている。

 この月、前年から続いていたボランティア研修も残り少なくなっていたが、工事中の館内に初めて入った。「関門海峡潮流水槽」にマアジやメバルが泳ぎ始めた頃になる。

解説ボランティア:唐櫃 山人

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