あくあはーつ通信

Vol.229 Happy Sixtieth

 

 還暦といわれても最近は昔と異なり、現役で元気な人もが多いためか、いわゆる「老人」というイメージは薄いのではないだろうか。

 昭和31年11月29日に開館した下関の水族館は今年で60年、人間ならいわゆる還暦の歳になる。「下関市立水族館」として44年、更にリニューアル後、21世紀最初にオープンしたといわれる「下関市立しものせき水族館(海響館)」として16年の計60年間である。ハード面では元気印16歳のティーンエイジャーともいえる。

 

 開館した昭和31年といえば、神武景気の中、戦後の日本の復興が終了したことを指して「もはや『戦後』ではない」が流行語になったころである。

 この年、初めて南半球で開かれたメルボルンオリンピックで、日本のアスリートは目覚ましい活躍をしている。国内では、前年に鳥羽水族館が、同じ年(31年)には竹島水族館が愛知県に、海外では、昨年、世界水族館会議が開催されたカナダのバンクーバー水族館がそれぞれ開館している。

 因みに、開館時の入館料は大人50円、当時の映画館の入館料とほぼ同じである。海響館も、オープン時、映画館も考慮して決められたようだが、映画全盛時代の当時と、平成の映画事情は違っても、両者は市民の娯楽として関心が高い存在なのかも知れない。

 

 実は、昭和26年に市では、戦時中に鉄材不足で試作されたコンクリート船を活用して水族館にする案が検討されたが、具体化しなかったようだ。(平成元年に、尾道でギリシャのパルテノン神殿の様な海上に浮かぶフローティングアイランド水族園が出現しているが、水上の水族館として類似の発想だったのだろうか?)

 その後、対岸の当時の門司市には、昭和28年に和布刈水族館が誕生している。(43年閉館)

この動きに呼応したかのように昭和31年に下関水族館が誕生したので、昭和31年から43年までは、海峡を挟んで両市が競っていたのだろう。

 

 入館者数は、開館直後と関門橋が開通した昭和48年、49年が60万人を超えている。この頃が、下関水族館にとっては最盛期だった。さらに昭和48年水族館に隣接した埋め立て地に、総合レジャー施設マリンランドが誕生し、相乗効果があったと思われる。

 その後は、35万人前後を推移したが、報道では、閉館した平成12年12月、入館者は延べ約1,716万人に達している。

 館の歴史の中で大きな出来事の一つは、平成11年9月のスーパー台風18号による被害ではないだろうか。勢力が強かったのと、満潮のタイミングに台風の中心が近くの宇部を通過したこともあって市内は大きな被害を被った。水族館も例外ではなく水没被害で飼育システムが壊滅し閉館に追い込まれた。もしあの台風を逸れていたら、もし満潮と台風の通過時間がずれていたら、当時、建設が進められていた新水族館へ閉館の切れ目なくバトンタッチが可能だったのではと惜しまれる。

 

 平成に入ってから大型水族館が、東京、大阪、名古屋、横浜など大都市中心に次々と開館していた。下関水族館の老朽化が進みリニューアルの話題が新聞に出始めたのは平成4~5年頃だった。市も広報誌で「20~30年先を見越した水族館の未来像のために」と特集を組み現状を詳しく市民に紹介し始めた。(現在、その見越した先の年になっている。)

 

それから8年後、平成13年4月1日新水族館「海響館」が華々しく産声を上げた。初日には入館者の行列が開館直前に3km近くに及んだとマスコミは市民の関心の高さを報じた。前年5月から計12回の解説ボランティア養成講座が開かれてきたが、いよいよ本番を迎え泥縄で解説資料のインプットに追われていた頃である。

 

 下関の水族館の歴史の70%余を占め、44歳で閉館した下関水族館。関見台公園内の跡地には展示の一部だったコンクリート製実物大シロナガスクジラがその当時のままの姿を今も残している。

 報道によると引継式には、水族館のシンボル「リュウキュウオキナエビス(琉球翁恵比寿)」が館長から新館長予定者に手渡されたとある。シンボルが貝類とはこの時初めて知った。「翁」は男の老人を親しみ敬って呼ぶ語であり、「恵比寿」は釣り竿と鯛を持った七福神の一人。44歳の水族館から還暦を越え、その先まで宜しくと新水族館へのバトンとしての意味合いがあったのだろうか。

 

 国内には、大小100件前後の水族館施設があるようだが、魚津水族館のように1世紀を超え活躍している長寿な水族館もある中、60歳はまだ半ばを過ぎたばかりである。海外ではナポリ水族館のように約140年前に開館し、現存する世界最古の水族館もある。きっと日頃の健康管理(施設のメンテナンス)が行き届いているのだろう。

 最近では、水族館の存在は当たり前になっているが、当時の人にとっては、大阪万博で何時間も行列しやっと見られた「月の石」を体験した我々と同じように、一般の人には全く見ることが出来ない異質な世界を小さな窓から見て大いに驚いたに違いない。そして、その人々に、その後の水族館の発展ぶりを想像できただろうか。

 

 明治150年も近い。還暦のこの機会に百寿(2056年)の海響館の未来像を想像してみるのも面白い。技術が進歩し、自然界に負荷をかけない、自然界からの生物の補給は皆無に近い水族館の出現も夢ではない。野菜が室内で季節や天候に左右されずに「製造」されているように。

 さて、そのころの解説ボランティアのニーズは?

 いずれにしても、先ずは、「還暦おめでとうございます!Happy Sixtieth

 

解説ボランティア:唐櫃 山人

2016年11月29日