第19回 共生について考えるーアカスジモエビの話ー


 私は大学時代にコンジンテナガエビという、日本では琉球列島を主な生息地とする、てながえびの仲間を研究していました。大学4年生から大学院を卒業するまで、来る日も来る日も、時には夢の中までも、頭の中はエビのことでいっぱい。寝てもさめても、エビづくしの毎日を送ってきたせいか、この海響館にお世話になってからもエビたちは私の心にとりついて離れてくれません。もはやエビを語るは私の宿命と勝手に思い込み、今回は当館の2階、温暖の海をテーマにした水槽で、大きなハタたちの周りをせこせこと動き回るアカスジモエビを紹介させていただきます。

 このアカスジモエビ、実はけっこうTVに出てたりする割とメジャーなエビなんですね。かれらを一躍TV出演にまで押し上げた所以、それはかれらが“掃除屋さん”であったことにほかなりません。アカスジモエビは普段潮通しのよい穴の暗がりなどで暮らしています。そこへ体の表面やエラなどに寄生虫がついて、『なんかこう生きた心地がしないな〜』という魚達が訪れてきます。魚達は『掃除して下さい』とそれぞれ独自のボディーランゲージでアカスジモエビに訴えかけます。アカスジモエビは体を左右に振りつつ、細長く白いはさみ脚を小刻みに動かす、“掃除ダンス”でもって魚達の悲痛な叫びに答え、寄生虫や口の中の食べ残しを食べるべく、奮闘するのです。つまり魚達は掃除をしてもらい、アカスジモエビは餌にありつけるといった構図です。このような関係は清掃共生ということばで表現されています。アカスジモエビがハタたちを掃除する光景は当館の水槽でも御覧いただくことができます。
チャイロマルハタ(奥)と
アカスジモエビ(手前)
エラの中に入って掃除するエビ(矢印)
 


 さてこれからが本題。このような関係を本当に「共生※1」ということばで括っていいものなのか?そもそも「共生」って何?私はちょっとだけ考えてみました。このような一見仲睦まじい、直接的なギブアンドテイクな関係を「共生」とよく銘打っています(例えばクマノミとイソギンチャク)。食物連鎖でよくいわれる“喰う、喰われる”もその場その場を摘まみ上げれば残酷なシーンも多々ありますが、その生態系がバランスを保つ上では間接的ながらもこれはギブアンドテイクであるわけですよね。つまり生きものは自分以外の生きものすべてと「共生」しているわけで、人間の主観でこれは“云々共生”だと変に際立たせなくてもいいんじゃないかと思うのです。
 「共生」を考えるなかで、その輪から逸脱(いつだつ)した生きもの、それは人間ではないでしょうか?人間は自然界のなかで常に“喰う”立場にあります。でもそんな人間もあくまで自然の一部に過ぎません。好き勝手なことばかりやっていると痛い目にあうのは必至です。大学の恩師がある講演で『共存共貧』ということばを引用されていました。すごく深いことばだな〜と感じたのを憶えています。“共に生きる”ということを本気で考えなければいけない時代ではないでしょうか。あらためてエビに考えさせられた今回のお魚探検隊でした。

魚類展示課 稲次 祐二


※1

きょうせい 【共生・共棲】
(1)一緒に生活すること。「融然として相容れ、怡然(いぜん)として―す/自然と人生(蘆花)」
(2)〔生物〕 異種の生物の共存様式。普通、二種の生物が互いに利益を交換して生活する相利共生(そうりきょうせい)をさす。アリとアリマキ、ヤドカリとイソギンチャク、根粒バクテリアとマメ科植物など。
(3)〔心〕 子と母親の相互依存の状況。

大辞林第二版より


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